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  • 休館日
  • 小中学生無料日

鹿沼市立川上澄生美術館
栃木県鹿沼市睦町287-14
TEL.0289-62-8272
FAX.0289-62-8227

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長谷川勝三郎

コレクター長谷川勝三郎

鹿沼出身の長谷川勝三郎氏(1912〜2001)は、

栃木県立宇都宮中学校(現 宇都宮高等学校)で川上澄生と出会い、

その人柄や版画の魅力に惹きつけられて、生涯にわたり作品を収集しました。
当館は、その2,000点余の作品提供により開館しました。


ここでは長谷川氏の生涯についてご紹介します。

川上澄生との出会い
長谷川勝三郎氏は、1912年(明治45)2月9日に
鹿沼町大字鹿沼(現 鹿沼市久保町)生まれました。
1924年(大正13)、宇都宮中学校(現 栃木県立宇都宮高等学校)に入学し、
そこで川上澄生と出会います。
日光へ遠足に出かけたとき、お宮に自宅の庭園「掬翠園」(きくすいえん)の千社札を貼っていると、

引率していた澄生から声をかけられたのがきっかけでした。
その後、澄生の家へ通って、木版画に惹かれるようになります。

版画誌『刀』

1928年(昭和3)、宇都宮中学校の版画好きの生徒たちが集まり、版画誌『刀』(とう)が創刊されます。

『刀』は、台紙に小さな版画を貼付け、それを1冊にまとめたものです。

長谷川氏は『刀』創刊の中心となり、実際に澄生の手ほどきを受けて版画を制作していました。

新聞社へ入社し、澄生の支えとなる。
長谷川氏は中学校を卒業後、大学進学を経て、新聞社へ入社します。
中学校を卒業したのちも、澄生を慕い続け、神田の画廊に通うなどして版画作品の収集を始めます。

主なコレクションは、川上澄生でしたが、そのほかにも棟方志功や竹久夢二なども収集していました。
1972年(昭和45)に澄生は亡くなりますが、2人は50年にも及び交流を続けたのでした。

川上澄生美術館の開館
1992年(平成4)、長谷川氏は貴重なコレクション2,000点余を郷里である鹿沼へ提供することを
決断し、

川上澄生美術館は開館しました。
美術館開館ののちは、名誉館長として恩師川上澄生の魅力を伝えるべく尽力しました。
長谷川氏は2001年(平成13)、89歳で亡くなりました。
  

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